著者 渋沢栄一
訳者 守屋淳
発行所 筑摩書房
概要
「日本資本主義の父」との誉れの高い実業家、渋沢栄一。彼が関わった会社は470社。その中には、現在の王子製紙や東京ガス、サッポロビールといった大企業が名を連ねます。
大実業家の渋沢栄一が心がけていたことは何だったのでしょうか?それは、ビジネスにおいても道徳や常識、いわゆる「生きる上での正しさ」を成り立たせることでした。
儲けようとする気持ちは実業家には必要ですが、それが世のため人のためにもなっているのか。人道に反していないか。それが大切なことである、ということです。
感想
商売に真心と誠意を込める
「算盤=商売」と「論語=道徳、常識」を両立させることが肝要であるという内容ですね。「そんなの当たり前じゃないか」と思われる方もいらっじゃるでしょうが、渋沢が生きた時代(1840~1931年)では、商売と道徳は混在されていなかったようです。
高潔な道徳や正義の教えは武士や一部の町人にしか行き渡らず、商人は金を稼げればそれでいいという考えが一般的だったとか。外国人からは、「日本の商人は約束を守らない」と言われていたようです(これは日本と外国、両方における独自の習慣の違いもあるようですが)。
現在はSNSの普及から、外圧によって企業にも個人にも道徳や正しさが強要されていますね。何かあったらすぐに炎上してニュースになりますから。渋沢栄一の目指していた、修身から生まれる正しさとは違いますね。
特に面白かった所
人と争うことを避け続ける卑屈な根性では、成長の見込みがないというところですね。
何があっても争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けてしまうことになり、正義が行われないようになってしまう。わたしはつまらない人間だが、正しい道に立っているのに悪と争わず、道を譲ってしまうほど、円満で不甲斐ない人間ではないつもりである。人間はいかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない。古い歌にもあるように、あまり円いとかえって転びやすくなるのだ。
本書より引用
これは身に沁みました。自分が折れてその場を収めるということは、日本では大人のマナーとされています。しかしそれでは、悪いことが蔓延ってしまう原因になる。自分に非がなく、道徳としても間違っていないのならば、媚びへつらう必要はない。むしろ議論する必要がある。そのためにも自分の心を磨き、正しさを希求する。そんな姿勢を持つよう心掛けます。
オススメする方は
- 老若男女、全員にオススメですね。特定の層に役に立つ、といった書物ではないです。
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