著者 重松清
出版社 講談社
概要
自殺した男子中学生の遺書が公開された。そこには4人の同級生の名前が記されていた。いじめの主犯格だった二人、親友の男子、恋心を抱いていたであろう女子。だが親友とされた男子は、中学に入り付き合いはなくなっており、いじめも見て見ぬふりをしていた。なぜあいつは俺を親友だと書いたのだろう。
感想
背負い続ける業
かなりシリアスで重厚な内容です。いじめを傍観しているということは、とてつもなく卑怯であるという論旨です。この点について、私はかなり悩みました。「助ける道理がない人でも、その理論は成り立つのだろうか」と。
もちろん助けるという手段がベストで、見て見ぬふりが卑怯であるということは間違いないでしょう。ただ介入すれば、次のいじめの対象に自分がなるかもしれません。そうなっても、誰かが助けに入ってくれるとは限りません。家族や親友ならともかく、たいして繋がりのない、さらに言えば嫌いな奴でも助ける必要があるのでしょうか。
自問自答して行き着いたのは、「良心に従って行動するべき」というものでした。無視して自分は逃げる。その時は安心するかもしれません。しかし被害者がなくなってしまった場合は特にですが、良心の呵責に耐えられないと思います。「自分が止めていれば助かる命があったかもしれない。なぜ見捨てた、なぜ心の支えになってやれなかった」。ずっと「十字架」を背負って生きていくことになるでしょう。被害者のためですが、自分の中の正義や倫理のためにも、手を差し伸べるべきではないでしょうか。
口では綺麗事を言っていますが、私も実際に同じ状況になったら、逃げずに立ち向かえるのか。そんな事を考えさせられる一冊でした。
特に面白かった所
恋い慕われていたであろう女の子の「十字架」ですね。自殺した男の子は、じつは前日にある行動を起こしています。その行動のために、女の子はその後、罪の意識に苛まれながら生きていくことになります。これが読んでいて興味深いところでもあり、胸が苦しくなる所でもあります。残酷でしたね。遺書でいじめっ子を告発したと同時に、好きだった(であろう)女の子を苦しめることになるのは皮肉です。
オススメする方は
- ヘビーな内容が好きな方(私はそういう物語を好んで読みます)
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